石田気功療院 の三大要素

調心-魂-とは?

心とは何なのでしょう。「素直な心」「奉仕の心」「謙虚な心」「反省の心」「感謝の心」これら五つの心は心の五大栄養素とも言われております。

人間の心が貪欲で自己中心になってくると吸収することが難しくなります。 これらの心を使わないでいますと生きていてもなんら幸せであることを感じることが出来にくくなります。

日々の生活においても喜びを感じることができず、心は不満足で、愚痴、悪邪心といったものが増長していきます。 そうなると、自分だけのことしか考えずに人はどうあっても自分を中心に物事を考えることしかありません。

殺人、脅し、暴力、人のものを盗む、不倫、浮気、悪口、うそ、二枚舌、大げさにものを言う、もっとほしいという限りない欲望、 怒り、愚痴、疑惑、慢心、強情、頑固、自分勝手、慳貪、知ったかぶる、人をだます。嫉妬、怠ける、 心配するこのような心を知らず知らずのうちに使っているとやがては苦しみにあえぎ、寂しい人生を送る結果となります。

苦しみの原因は全て自分にあるということを肝に銘じなければなりません。 今苦しんでいるのは紛れもなく、自分であるということです。そして苦しみは誰にもあるということですが、人は皆それを隠して生きています。

重要なことはこの世で生きていることが「苦しみ」であるということを理解しなければなりません。
楽しみや喜びというものはほんの一時であるということ。良いことなどそうたびたびあるものではなく、それを求めていると益々苦しむことに成ります。

それでは苦しみの原因は何なのでしょうか?それは「欲望」です。詳しく言えば財欲、飲食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲といったものです。 その中で人間はお金に対する欲望は限りないものがあります。

5万円ほしければ今度は10万円欲しくなり、それが20万円になって生きます。お金があれば何でも欲しくなりますが、そう簡単にはお金は入りません。 ですから人間の心はいつも不満足です。だから苦しくなるのです。お金があればこれらの欲は満たすことが出来ます。 これらの欲を満たそうとするためには必要以上のお金がなければなりません。

それらのお金を得るためには普通の働きでは得ることが出来ません。そのために無理を重ねます。だから苦しくなるのです。 どうすれば日常生活の中で苦しみからのがれられるのでしょうか?その答えは今の状態で「満足」することなのです。

自分より上の状態を見ないで、下の状態を見るようにするということです。自分より苦しんでいる人がいる。 そうした人から見たら幸せであることを理解しなければなりません。このことが苦からの解放です。

どうしても人間は今が苦しいと愚痴、不満が出ます。愚痴不満は自らの魂を汚します。 そしてこのことは自業自得ということになっていきます。苦しいときに「耐えていく」。 このことが苦しみから解放されていくことです。そして「忍耐力」を養っていくことがとても大切に成ります。 この生きている世界は何一つ自分の思い通りには成りません。耐え忍ぶ場であります。良いことがあればあった分悪いこともあります。

この世の出来事は善と悪が共同でセットになっているということです。人はそれぞれみな違います。 表面的に見えても必ず苦しい部分はあります。ただそういう苦しいところは隠して生きているのです。

ですから人のことをうらやましく思ってはいけません。みな平等に苦しみを抱えて生きているのです。 そして苦しむことで魂が磨かれていることが一番大切なポイントになります。 肉体的には苦しむことはとてもつらいことだが、自分の本当の姿である霊体はそのことを望んできたということを認識する必要があります。

この苦しみを耐え乗り越えたときに魂の向上がなされたということ。 障害や挫折は自分が大きくなるための肥やしであることを肝に銘じなければなりません。

また生きているとさまざまな人との出会いがあります。好きな人ばかりといつまでも一緒にいられれば良いですが、 そういうわけにもいかず、いやな人とも付き合わなければなりません。好きな人ばかりと付き合っていては、魂は磨かれません。 いやな人、苦手な人とも付き合わなければ魂は磨かれません。そこから逃げると後で必ず苦しくなります。 誰とでも付き合えるような柔軟性を養いたいものです。

そして人の好き嫌いが激しいほど全ての物事の本質はつかめないことも理解してください。 問題やいやなことに直面したら逃げないでこのことをクリアしていく精神を養っていくことが大切に成ります。

いやな苦しいそんな場面に出会ってうまく逃げたとしても、またいつか同じ問題にぶつかります。 逃げるということはいつになっても自分の器は大きくならず、苦しむことになり魂の向上はありません。 このようにいやなことから逃げて死んだとしても、また生まれて同じことの繰り返しでこのことを何度も何度も繰り返すのです。 繰り返しの人生なら今日このときから自分の器を変えようという勇気を持つことです。

聞く耳を持つということはとても大切なことです。耳は2つで口は1つありますがどうしてだと思いますか? この答えとして、口で話す量の2倍人の話を聞くようにということです。このことは何でも受け入れろということではありません。

自分という概念を一端横に置いといて、一端聞くということです。批判や忠告を受け入れることは本当に素晴らしいことです。 そうすることにより、自分自身の器(度量)が大きくなり、魂は益々豊かになり成長していくでしょう。

このことは私たち人間がやらなければならないことなのです。批判や忠告は悪口ではありません。 人間はみなどこかに足りない部分を持っています。その足りないところを修正することによって丸い豊かな心となっていきます。

自分を完全な人間であると思っては成りません。不完全であるからこの世に生まれてきたのです。 ですから自分の足りないところを指摘されて怒るということは本当に哀れな小心者です。足りないところは自分ではなかなか分かりません。

ですから自分の周りにいる人はすべて自分を磨いてくれる人です。そして自分の周りにいる人は自分の魂と引き合うものを持っています。 自分の周りにいる人の悪口をいってはいけません。悪口は全部自分に帰ってきます。そして悪口は魂を汚します。よく心に刻んでおきましょう。

再々申し上げますが、この世の中は何一つ自分の思い通りにはならない魂の修行の場です。 感謝の心、満足の心、人の役に立とうとする心、が本当に必要となってくるのです。

愛する人との突然の別れ、両親との別れ、夫、妻、子供との別れ、老いた親が子供に先立たれるという悲しみ、 突然の急死、事故死、自殺、殺人といった苦しみにいつ遭遇するか分かりません。つまり人間は生きているということ、 それは、一寸先は闇夜であるということであります。

未来の保障など誰もしてくれないしどうすることも出来ません。いくら心配しても仕方がありません。心配は魂を汚します。 ならば将来を明るく豊かなものにするにはどうすればよいでしょう?

その答えは今現実に出来ることを精一杯やることです。一日はあっという間に過ぎてしまいます。本当に早いものです。 ですからこの貴重な一日を悔いのないように過ごさなくてはなりません。

今こうしている間に降りかかることは全て自分自身のためです。愚痴、不満は厳禁です。 こうして思うように行かないときこそ自分自身の魂が磨かれているときです。忍耐力を養ってください。 悲しんで苦しんで魂は磨かれていくのです。本当につらいことですが、この苦しみが人生なのです。

ですから、今家族がいて健康な人は心からの感謝がなければなりません。当たり前と思っていたら大変なことになります。 平凡な生活が出来ることがこの世の幸せなのです。現状に満足して、感謝して、自分が悪い事をしたら反省をしていきます。 そして人の役に立つ人間になれるよう努力していきます。人の幸せを心から喜べるような心を養って生きたいものです。

調行 -行い- について